行為のあいだの或る瞬間に、私は、レコードの音楽が尽きて、針が盤面の音のない溝を軽くこすっていつまでも廻っている、そのかすれた音をきいたような気がした。その溝は無限軌道をえがいていて、かすれたひびきはいつまでも尽きず、私の耳がこれをとらえたときには、ずっとずっと以前から、そのかすれた音だけがつづいていたのだと感じられた。してみると、そのディスクの音楽が終わったのは、私の記憶が遡ることもできないほど遠い昔であるように思われる。音楽はずっと昔に死んでしまっているのだ。(三島由紀夫『音楽』)

 音楽の死という現実を突きつけられた後で、僕等がイメージできるものには何が残されているだろう。サウンド・オブ・サイレンス――無音。この無声映画の中のような現実の中で、唯一イメージできるもの。それは動きだ。しかも、無音の現実の壁を突き抜けて、僕等の世界に再び小鳥達の祝福を授けてくれるのは、ダンス――そう痙攣だ。

 僕が初めてデモに参加したのは、2004年2月22日の渋谷。サウンドデモというデモの形態があることを知ったのもこれが初めて。知人のYさんに会いに東京を訪れたのだけど、サウンドデモに誘われて参加してみることにした。デモの前に開かれた決起集会とデモを合わせて数時間踊りっぱなしだった。率直に言って楽しかった。ただ踊ってばっかでYさんとはあまり話ができなかったのが――残念。

 僕はいつの頃からか、クラブに行って踊るようになっていた。高校時代のサッカーがたたってヘルニアンになって以来、体育会系の部活は引退していた。だけど、夜中にインドアで爆音で激しくしかも楽しいクラブ活動があることを知り、部活に再び精を出したんだった。いろいろな国の踊りと音を求めて、二十カ国ぐらい放浪した程だ。

 東京の渋谷で、圧倒的な人の数とファッションに飲まれて、どこか異邦人になりつつこそこそ歩いていた明治通りや表参道。しかも車が我が物顔で歩くストリート。そこをたとえ二車線とはいえ取り戻し、身体中を使って祝福する。

 当時の僕は、のほほんとしたもので、イラク戦争に何か違和を感じつつも、何も考えていなかった。自分のことで精一杯だった。だからサウンドデモに参加しても反戦を訴えていたわけではない。単純に、ノリの良い音楽が流れて、最高に興奮する場所で、一緒に踊る人達がいたから踊っただけだ。次々に通りからたくさんの人達が参加してくる。歩みを止めて眺める人もいれば、一瞬一瞥を与えた後そそくさと去る人もいる。

 ジュラルミンの盾や警棒を持った数百人の機動隊にも驚いた。斜線をはみ出した者をすかさず注意する。かと思えば、逆にスキンのヘッドをぐりぐり隊員の制服の胸倉になすりつけて、挑発するあんちゃんもいる。小さな子供を肩車して、アコーディオンをひいてる夫婦。怪しげな格好をして、スネアをでたらめったら叩く青年。歩道の切れ目に飛び出して、3、4人で隊を組み奇声をあげながらぐるぐる回り転げる少年少女。

 デモは申請してあるから通行止めのはずなのに、隊に割って入ろうとする黒い光沢ベンツ。良く見ると、4人組のスキンヘッドのヤクザなアンちゃんたちで、最初はデモ隊に怒鳴っていたのだけど、機動隊を見つけると敵味方の区別がついたようだ。サウンドデモにベンツのクラクションを合わせて、機動隊に中指をおっ立てていた。

 日も暮れて真っ暗になりデモも終盤にさしかかってくる。外資の店が立並ぶ通りで僕は不思議な経験をした。それまで、デモに参加はしてないけど立ち止まり眺めている人達を見ていて、うっすら感じていたことがあった。特にマクドナルドの二階席の人達が総立ちでこちらを眺めている時だ。それらの感じが、ひときわネオンがシックに輝くブランドの高級店の前に来たとき明らかになった。

その店だけは、入口に二人の黒人ガードマンが黒いスーツを着て守ってたんだ。1Fや2Fのぴかぴかのショーウィンドウから、シックな身なりをしたジャパニーの女性店員たちが数人見えた。確かにこちらを見ている。客足も途絶えていたのか、たまたまなのか、手は空いていた。通り越しに、ガラス越しに、僕は「目が合った」と感じた。だからジャンプして大きく手を振ったんだ。二度、三度。でも何も反応がない――水槽の中の熱帯魚のように。でもこっちを見てるんだ。目が合ってるはずなんだ。そこで、僕は彼女達が何を考えているのか、考えてみた。すると、彼女達が考えていたのは、僕等路上で爆音と共に踊ってる人達は何を考えているのだろうか?ということだった。同じこと考えてたんだー、と僕は何だかおかしくなっちゃって笑ったその瞬間、ガラスの向こうの、あるいは海の向こうの無音の空間の音が聞こえたんだ。彼女達も音を立てて笑ってた・・・

 あれから1年が過ぎた。その時の経験を「視点の反転可能性」と名付けて、僕は人に面白おかしく教えてやってんだ。でも。今はもっと面白いことを考えてる。「反戦」じゃなくて、「福祉」でサウンドデモをやろうと思ってるんだ。福祉―踊り―性のラインで何か面白いことをやれたらなー、ってさ。海の向こうの戦争を惹き起こしてるのと同じ構図で、僕等の身近なところで「暴力」が振るわれてる。この4月か5月に「障害者自立支援法」ってすんげー、規模のでかい複雑な、悪法が国会を通過しようとしてる。障碍者への支援を脱施設で、地域でお互いにささえあってやっていこうっていう流れの逆戻りなんだ。結局施設に入れておいたほうが安上がりなんだとさ。自分には障碍がないから「当事者」じゃないから関係ないってー人もいるかもしれないけど、息苦しいせちがらい世の中に生きてるって意味じゃ、みんな当事者だと思うんだよね。少なくとも僕は。こんな息苦しさ、せちがらさにNOを言いたいんだ。家族、学校、部活、塾、年長者、異性、権威、権力、そして暴力。様々な線に貫かれて、拘束されて僕等はがんじがらめだ。音楽は死んでいるのかもしれない。だけど、身体を動かして、そう痺れさせて痙攣させて、それらの線を振りほどこうともがくことで、何か聞こえてくるものがあると思う。

そのとっかかりとして、年金保険や医療保険、傷害保険、生活保護・・・ってのをひっくるめて「福祉」ってところから始めて、「性」に向けて震えてみたいんだ。フィストファックのことはまだ良くわかんないんだけど、何か開こえてきそうな予感がしない?



SHALL WE DANCE ?



 ということで長々と書いてきちゃったけど、「福祉ダンサウンデモ」ってのを京都で企画しようと思ってる。まだどんな企画になるか良く分かんない。でも、面白そうだな〜って人は連絡ちょうだい。またそれとは別枠で(でも繋がってるんだけど)、「障害者自立支援法」反対デモも考えてる。こっちも協力してくれる人は連絡ちょうだい。



<参考URL>

・   「身から出たプロデューサー|障害者自立支援法」のページ
http://blog.kansai.com/herstory+category+6

・   「障害者自立支援法、最初っからやり直すべし!」のページ
http://www.arsvi.com/0ds/200502.htm


・     障碍や福祉に関心のある人たちのネットワーク「ふくしらぢお」のページ
http://fukushiradio.ameblo.jp/

・     反戦ネットワーク”PACE”のページ
http://www.geocities.jp/pace_noyuji/index.html

・     αステーション「massiveloopentrance」のページ
http://www.massiveloop.com/